大判例

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東京地方裁判所 昭和40年(合わ)307号 判決 1969年2月15日

主文

被告人を懲役二年および罰金四〇〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。ただし、右懲役刑については、この裁判確定の日から三年間その執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二三年九月慈恵会医科大学を卒業後、インターンを経て医師国家試験に合格し、昭和二五年医師免許証の交付を受けるとともに同大学産婦人科教室の助手となり、昭和三一年に医学博士号を取得して翌年から右産婦人科教室の講師を勤めていたが、そのかたわら昭和二六年以来実兄信雄が開設した肩書住居地所在の診療所青木医院において産婦人科の担当医として診療に従事してきたものであるところ。

第一  いずれも右青木医院において、男娼から睾丸摘出、陰茎切除、造膣等一連のいわゆる性転換手術を求められるやこれに応じ、法定の除外事由がないのに故なく生殖を不能にすることを目的として

(一)  昭和三九年五月一三日頃、K(当時二二才)に対しその睾丸全摘出手術をし

(二)  同年一一月一五日頃、M(当時二三才)に対しその睾丸全摘出手術をし

(三)  前同日頃、T(当時二一才)に対しその睾丸全摘出手術をし

第二  麻薬営業者ではなく、法定の除外事由もないのに

(一)  昭和四〇年三月五日頃、右青木医院において、小学校時代の同級生で露店商をしていた名越孝四郎から「俺のスポンサーが麻薬をどうしても欲しいと云つているから都合してくれ。決して先生には迷惑をかけないから」と依頼されて一旦は拒絶したものの、なおも執拗に要求されたためこれを拒みきれず、翌六日頃、青木医院において右名越に対し、医療用麻薬オピアト注射液一ミリリットル入りアンプル一〇本を代金合計六〇、〇〇〇円で譲渡し

(二)  その後も毎々右名越から麻薬の譲渡方を依頼されるやその都度、営利の目的をもつて、別紙一覧表記載のとおり、昭和四〇年四月六日頃から同年九月九日頃までの間に前後一五回にわたり、いずれも青木医院において、名越に対し医療用麻薬オピアト一ミリリットル入りアンプル一〇本ずつを代金五〇、〇〇〇円ないし六〇、〇〇〇円で(合計一五〇本、代価合計八三〇、〇〇〇円)譲渡し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(被告人および弁護人らの主張に対する判断)

第一、優生保護法違反事件関係

一本件睾丸全摘出手術は正当な医療行為であるとの主張について

〔被告人および弁護人らの主張の要旨〕

本件手術は性的倒錯者に対する治療としてなされた性転換手術の一段階であり、正当な医療行為であることは以下の諸点から明白である。

(イ) 本件の手術を受けたK、M、Tはいずれも医学的にみて性的倒錯(Sexual inversion)のうち性転向症(Transsxualism)の症候群に入る精神異常者である。すなわち右三名の者は肉体的には男性でありながら性対象を男性に限り、異性に対して全く性的興味や関心を持たないだけでなく、自己の生物学的な性を否定して反対の性へ転換しようとし、自己を反対の性と同一のものと認識し、それを維持しようとするいわゆる性転向症者であり、肉体と精神が完全に分離しているため性に関する精神的葛藤が極めて大きく、反対性への肉体的転換を切願していた。

(ロ) 本件の睾丸全摘出手術は性転換手術(睾丸全摘出、陰茎切除、外陰部整形、造膣の各手術を経る)の一段階として行われたものであるところ、真正同性愛者や性転向症者などの性的倒錯者に対し、精神療法、体質を変えるための外科的療法やホルモン療法はいずれも効果がなく、治癒させることは不可能であるから、むしろ性転換手術によつて性的倒錯者の希望する反対の性の肉体に近づけ、精神的葛藤を減少させることこそ彼らに社会適応性を附与しうる有効、適切な治療と云うべきであり、現に性転換手術はスカンヂナビア諸国や米国等において相当数行われ、医学的に治療行為として承認されている。

(ハ) 手術を受けたKら三名はいずれも自己の肉体を変更して女性として生活することを願望し、自己の自由意思により被告人に対し真剣に性転換手術を依頼したのであつて、単なる承諾以上の積極的な治療依頼があつた。

(ニ) 被告人は長年産婦人科医として診療に従事し、しかも大学において講師を勤め、医学生の教育にあたつてきたもので、産婦人科のみならず医学全般にも通じており、性的倒錯者についても数多く臨床経験を有し、造膣手術の経験も豊富であるから性転換手術を行う能力は十分あつた。

従つて本件手術が正当な医療行為である以上、そもそも優生保護法第二八条の禁止に牴触するはずがないし、仮に形式上牴触するとしても違法性が阻却されるべきである。

〔当裁判所の判断〕

前揚判示第一の関係証拠によれば、被告人が判示の日時場所においてそれぞれK、M、Tの睾丸全摘出手術を行つたことは明らかであり、被告人自身もこれを認めているところである。然るに睾丸全摘出手術が医学上当然の治療行為として従来一般に承認されてきたのは結核性の副睾丸炎、睾丸の悪性腫瘍、睾丸捻転症、ホルモン依存性の前立腺ガンや睾丸が外傷を受けた場合のほか停留睾丸や真性半陰陽に対して行われる場合であるとされている<証拠略>が、手術を受けた右三名の者にはいずれも右のような睾丸全摘出手術(全去勢術)を必要とする疾病が存在していなかつたものであり、また三名とも生物学的には、男性であつて、真性半陰陽でも女性仮性半陰陽でもないことが認められる<証拠略>。従つて本件においては、被告人および弁護人らが主張するように性的倒錯者に対するいわゆる性転換手術そのものが医学上広く治療行為として認められているか否か、それが肯定されるとしても本件手術が具体的に正当な治療行為として評価しうるか否かが最も重要な問題点であると考えられるので、以下当裁判所の事実認定と判断を順次詳述することとする。

A 性転換手術の内容と医学的評価

(1) 性転換手術の概要

いわゆる性転換手術の概念は必ずしも明確でないが、広義に用いられて半陰陽を対象としてなされる場合には畸型に対する整形手術の一種として医学上当然の治療行為として認められていることは前記のとおりである。すなわち、半陰陽は解剖学的な畸型の程度や部位によつて真性半陰陽(胎児二ケ月の状態、つまり睾丸と卵巣の両者が併存するもので生物学的に両性であるが、その純粋型は甚だ稀である)と仮性半陰陽(元来男女いずれかに属する半陰陽であつて、それが男性か女性か、外陰部のみか否かによつてさらに外部男性半陰陽、内部男性半陰陽、内外部男性半陰陽、外部女性半陰陽、内部女性半陰陽、内外部女性半陰陽に分けられるが、これらはいずれも性器の発育不全である)とに分けられるが、いわゆる性転換手術と云われるものには、真性半陰陽者に対し睾丸或いは卵巣を除去して外陰部等を整形する手術や、仮性半陰陽で外見上の錯誤から反対の性として育てられた者が本来の性を認識されて外陰部等を整形する手術を意味することがある。これらの場合には、肉体的畸型をできるだけ正常に近づけようとするものであると同時に、男女の区別の下に営まれている社会生活の場における人間存在のあり方を本来的な姿に戻すもの(仮性半陰陽の場合)であるか、或いは通常の人間存在のあり方にするため一方の性に決定づけるもの(真性半陰陽の場合)であるから、真性半陰陽に対する場合のように生殖腺を除去する手術であつても積極的な医療行為として当然に許容されているのである<証拠略>

ところで性転換手術と云う場合、狭義においては、半陰陽のような肉体的畸型に対するものでなく、専ら性的倒錯者を対象としてその肉体を反対性のそれに解剖学的に類似させるために、性器、外陰部等に一連の肉体変更を行う手術を指すことがある。この意味での性転換手術が本件で問題とされているのであるが、男性に対する場合であれば、睾丸全摘出、陰茎切除、外陰部整形、造膣の各手術を行い、生殖能力は生じ得ないものの女性としての性交渉を可能にし、ホルモン置換療法を随伴させて女性らしい肉体に近づけようとするものであり、女性の場合であれば、乳房切断、子宮摘出、人工的陰茎造成等の各手術により男性の外観を備えさせようとするものである<証拠略>

こうした性転換手術は従来隠れた存在として扱われてきたが、イラ・B・ポーリーの「性転換手術の現況」によれば、この種の性転換手術の第一例は一九三一年にドイツで行われ、その手術方法は一九五三年にオランダ人医師クリスチャン・ハンバーガーがクリスチーヌ・ヨルゲンセンの症例を報告したときにはじめて周知のものとなり、それ以来手術とホルモン療法の合併あるいは単独施行による性転換を希望し実施された患者の症例報告が各国で多数みられるようになつたとされている。そしてポーリー博士は、性転換を要求する人々に対しより理解のある協力的な態度をとるヨーロッパやスカンヂナビア諸国の医師に比較して米国の医師が保守的であることを批判しているが、米国においてもジョーンズ・ホプキンス医学研究所(メリーランド州ボルテイモア所在)に性別鑑定診療施設(Gender Identity Clinic)が設立され、性転換手術を実施している(「ジョーンズ・ホプキンス医学研究所における性的倒錯者診療部設立に関する声明」)。しかしながら日本では性転換手術が公然と実施されてその症例が発表されたということはなく、大都市の個人開業医が秘かに行つた例があるのではないかと窺える程度であり、公的にも私的にも性転換手術に関する委員会等の設立があつたことを聞かないし、立法措置も採られていない<証拠略>。

(2) 同性愛と性転向症

ところで、性転換手術の対象とされる性的倒錯者は真性同性愛者ないし性転向症(Transsexualism証人および鑑定人高橋進がこれを性転向症または性移動症と仮訳しているので以下性転向症という語を用いることとするが、その意味内容は後記のとおりである。)者が考えられているのである。そもそも異常性欲は性欲の質的異常(いわゆる広い意味での性的倒錯Sexual Perversion)と量的異常(例えば色情狂や男性のインポテンツ、女性の冷感症)とに大きく分けられ、質的異常には性対象の異常(Inversion)と性目標の異常(Perversion例えば露出症、窃視症、サデイズム、マゾヒズム等)とがあり、同性愛は、自体愛、服装倒錯、小児愛、獣愛等とともに性対象の異常に含まれ、性対象として自分と同性のものを求める傾向を意味している。そして、同性愛はその程度や持続性により、a 完全な同性愛または真性同性愛(性対象は同性のものに限られ、異性は全く性的興味や関心の対象とならず、むしろ冷淡で性的嫌悪感をもつものもある)。b 両性的同性愛または仮性同性愛(同性も異性もともに性対象とするもので、大ていの同性愛は多かれ少なかれ両性的である)、c 機会的同性愛または代償的同性愛(異性に接し得ない特殊な外的条件のためにある期間だけ同性愛を示すもので兵営、寄宿舎、刑務所等のような集団内にみられる)とに分けられるが、性顛倒(自己の属する性と反対の性であるように感じ、その役割を演じるもの)を考慮しつつ能動的同性愛ないし対象的同性愛(例えば男性の場合男性としての感情を持ちながら男性の対象を求めるもので、その対象となる男性は多くの場合女性化した男性が多い)と受身的同性愛ないし主体的同性愛(例えば男性でありながら自己を女性であるように感じ、女性としての性衝動から男性を求めるもの)に分類する考え方もある。さらに真性同性愛と性顛倒とが同一人に同時に存在している場合すなわち右の分類によれば受身的同性愛者または主体的同性愛者とされるもののなかには自己の生物学的、肉体的な性を嫌悪し、反対の性になりかわることを希望し、それだけに自己の性器に対する憎悪と不要の器官を除去して反対の性の肉体に近づきたいという衝動を強く持つているものが存在する。例えば生物学的、肉体的には男性でありながらあたかも自己が女性であるかのように感じ、女性の服装をして女性になりきつて生活しており、できれば女性の肉体を備えたいと願つているものがあり、このような同性愛の特殊型ないし発展型ともみられる場合をTranssexualism(性転向症)と名付けている。性転向症には服装倒錯や同性愛が付随してみられるが、これらは異性を自己と同一視するという基本的な現象と関連して理解されるべきであり、従つて精神上の性の倒錯がみられない別の服装倒錯や同性愛とは区別されるのであつて、単なる同性愛者が自分の性器から大きな喜びを得、性器を除去することなどは決して考えず、自己を他の同性との性的関係を享楽する同性愛者と認めているのに対し、男性の性転向症者は自己の性器を憎悪し、自己の性器を除去できる日を夢みて暮し、自己を女性とみなし、女性として認められることを望みつつ異性の男性にのみ魅かれるのである。すなわち、性転向症者は性器上、解剖学上の意味からは同性愛的であるが、性の意味からは異性愛的なのである。なお、前記ポーリー博士は男性の性転向症者は約一〇万人に一人。女性の性転向症者は約四〇万人に一人と推測している。<証拠略>。

しかしながら、性転向症もやはり広い意味の同性愛の範疇に含まれるものとして以下その原因や治療等について考察をすすめることとする。

(3) 同性愛、性転向症の原因について

そもそも同性愛の原因はどの程度まで生物学的な素質因子に基づきどの程度まで社会的、心理的な環境因子に基づくものかは明確でなく、先天論、後天論、素因論を唱えるもの、反対に社会的環境論、心因論を唱えるものなどがあり、また妥協的に生物学的因子にある程度社会的、心理的因子の影響を考えたものもある。例えば心因論ないし心理学的な理解以外の同性愛の原因論として変質説、体質論、内分泌論、中間性説などが存在するが必ずしも決定的でなく、いずれも否定ないし批判されており、同性愛の発生論も他の性的倒錯と同様に精神分析による理論以外に系統的なものは少ないとされている。例えば同性愛者は思春期体験から期待神経症またはヒステリー様の衝動の構えの固着が起つたものであるとする考え方があり、また人間がもともと両性的傾向を持つことは主張されてきたところであるが、精神分析でもいわゆる真性同性愛者ですら青少年期には異性愛傾向があり、それが抑圧されているとし、ことに同性愛者は性的早熟のため異性愛の抑圧が早くかつ強くおこるとするものもある。しかし男らしさ、女らしさの決定は生物学的要因よりも社会的心理的要因によることが多く、性的早熟についても同様のことが云えるとされ、精神分析ではこれを近親愛恐怖と去勢恐怖に結びつけて説明している。例えば男性の同性愛では小児期に母に対する強い固着があり、異性に対する対象愛に発展せず、母との同一視から母と同様に男性を愛するというのである。しかし同性愛の現象が多様であり、おのおの異なる固有な根底をもつていることは多くの論者によつて指摘され、精神分析による近親愛の抑圧や去勢コンプレックスのための反対性の親との同一化もある事例ではみられるがすべてに共通とは云えないとされる。また実存分析の立場ではボスが事例研究を通じてフロイドのいう人間一般の両性傾向の概念を発展させ、同一人のなかに反対の性の現存在可能性の痕跡があり、あるものでは身体的および衝動的精神的領域が反対の性の方向に発展し得るとする。<証拠略>。

またイラ・B・ポーリー「性転換手術の現況」によれば、性転向症者の病因については極めて議論が多く定説がないとし、次のように報告している。すなわち器質的障害を病因として証明しようとする試みが数多くなされ、今までのところ成功していないものの性転向症と睾丸または副腎のエストロジェン(女性ホルモン)分泌性腫瘍とを合併した症例が報告され、腫瘍の摘出により正常に復したという症例報告もあるので器質的障害を全く否定することはできない。またアンドロジェン(男性ホルモン)が胎生期の初期に作用して後の性決定に影響を及ぼすと示唆するものもあり、生殖器とは関係なく個体が男性らしさ又は女性らしさを確立する際にホルモンに対して最も敏感に反応するのは初期であることが推定され、これらのホルモンは中枢神経系のこうした行動を支配していると思われる一中枢に作用すると考えられる。なお幼児期のしつけと親子関係に含まれる心理的、社会的因子は性の指向を決定する上に極めて重要であると思われる。結局、結論としては幼児期の精神的社会的決定作用の場を決定する生物学的因子が二、三証明されてはいるが、現段階では性転向症の病因は不明であると考えねばならないとしているのである。

(4)  同性愛、性転向症の治療と性転換手術

同性愛者に対する治療としては精神分析的な心理療法を中心とする精神療法ないしホルモン療法(もつともこの効果はほとんどないとされている)が主に行われているのであるが、従来の男子同性愛者の臨床的研究の結果によれば、同性愛者が自らその傾向を持つことに悩み、治療を求めてくることは極めて稀であり、みずから治療を求めるものは多かれ少なかれ神経症的傾向を持つものであつたり、家族や周囲の者の社会的評価の圧力のためにやむをえず他動的に治療を受けにくるにすぎず、従つてその圧力がなくなると治療を中止してしまうのみでなく治療の対象である同性愛自体に快楽的要素が強いため、その治療は却つて患者から快楽ないしそのような快楽を必要とすることによつて保たれていた精神的平衡を奪つてしまうという苦痛や不安を患者に強く与えるために患者が治療を嫌うことが多いし、とりわけ同性愛の内に自ら安んじている者の治療は極めて困難であるとされている<証拠略>。

加藤正明外二名による研究でも「一般に年令が若く、同性愛傾向が弱く、神経症的不安による治療への意欲がつよいものに治療の可能性があるように思われるが、性愛的方向づけ自体の変更は困難であり、同性愛的慣習に対する自制心をもたせ、社会適応を増大させることに治療の目標を置くべきだと思われた」と報告している。しかも真性同性愛者ないし性転向症者の場合、自己の倒錯に没入して罪悪感がなく、社会的評価を無視しているから積極的に治療を受けようとして精神科を訪れることはめつたにないし、精神療法等による治療も現段階においては極めて困難であると云わねばならない。

そこで性転向症者のように性に関して肉体と精神が完全に分離し逆転している者に対しては、精神の異常を精神科的接近により治療することがほとんど絶望的であるから、これらの者の精神的苦痛を除去するために、異常な精神の欲求に対し本人の希望するように肉体の方を外科的手術で変更し、生物学上反対の性の解剖学的構造に類似させることにより一応の自己満足を得させ、精神的葛藤を減少させて均衡をとろうすることが治療行為として考えられてくるのである。これが性転換手術のもつ積極的な意味であろうと思われる。<証拠略>。

しかしながら性転換手術を医療行為として直ちには肯定しない医師が多く、社会的、倫理的批判のほか次のような医学上の批判が存するのである。

(イ) 性転向症者の異常な精神的欲求を満足させることは麻薬患者に麻薬を与えるのと同じであつて、本質的に医学的な意味での治療行為とは認め難い。

(ロ) 性転換手術といつても解剖学的に類似させるだけであつて生殖能力も付与できず、結局は中性化した人間に変えるにとどまるものであるから、医学倫理上許されない手術である。

(ハ) 性転向症について精神療法等による治癒が絶対不可能と云えない以上性転換手術のような不可逆的手術はなすべきでない。

(ニ) 性転向症者に対する性転換手術を医学的にも治療行為として認める余地はあるが、現段階においてそれが最善の方法であるか否かは未確定であり、従つて医学上、法律上の問題点を確認し、制度的な規制をしたうえで手術を行うべきである。

(ホ) 性転向症を装つている者や手術癖のある者が手術を受けてしまう危険性があるほか、性格異常、精神病、器質的障害等からひきおこされている性転向症や、精神病、神経症等が合併している性転向症の場合、精神療法等で治癒させ得る可能性のある者に対してまで手術をしてしまう危険性があるから、できるだけ不可逆的手術は避けるべきだし、少くとも対象者の選択は厳格になされるべきである。<証拠略>。

これに対し現に性転換手術に踏みきつた医師や、これを支持する医師は、右の(イ)、(ロ)の批判に対して医学の対象は人間であり、男女の区別は人間にとつたの単なる雄と雌ではなく、文化内容をもつた雄と雌であるところ、性転向症者が人間としての社会的な在り方について苦痛を感じている以上その苦痛を除去するのは医師に課せられた任務であり、医学の科学的技術的進歩に伴つて病的苦痛除去の方法すなわち治療の方法、内容も変化し、医学的な倫理、道徳も変遷すべきであるとし、また(ハ)、(ニ)の批判に対しては、それらの批判は現実に苦悩している人々に対し、最高の技術を用いて積極的にとりくんでいる医師の人間的な姿勢の前には単なる保守的な弁解にすぎないとしている。<証拠略>。しかしこれらの医師も性転換手術が不可逆的な手術であることから生ずる危険性や弊害を排除すべきことを強調し、前記(ニ)、(ホ)の批判を十分考慮する必要があるとしているのであつて、ポーリー博士も「綜合的検討の結果、ある種の適応基準に合致した少数の選択された症例にのみ性転換手術がすすめられるべきで、性転換を望む人だれにでもすすめるべきでない」と警告している。

この点について参考になるのはジョーンズ・ホプキンス医学研究所における性転換手術である。「ジョーンズ・ホプキンス医学研究所における性的倒錯者診療部設立に関する声明」によれば、同研究所には性転向症者の問題をとり扱う性別鑑定診療施設(Gender Identity Clinic)が設立され、研究的予備的性格をもつた計画のもとに性転換手術を行つている。この診療班にはジョーンズ・ホプキンス大学形成外科助教授ジョン・E・フープス博士を班長として精神科、形成外科、産婦人科、小児科、泌尿器科、医学心理学、心理学等の専門家が参加し、毎月一回会合を持ち、患者の選択、検討、治療、経過観察の四段階にわたる作業過程を確立しており、初診患者は一ケ月に二人と限定し、その多くはニューヨークのハリー・ベンジャミン病院からの照会患者である。

作業過程の第一段階として、まず精神科医、心理学者、外科医によつてそれぞれ面接、問診され、テストされ検討される。患者の家族関係、生活歴が詳細に調べられ、数多くの試験技術が駆使され、得られた所見は全スタッフの前に提示され、その人間を患者として受付け、さらに第二の調査段階に入れるのに充分楽観的な見通しがあるか否かが決定される。

第二段階は、さらに詳しい精神医学的検査が行われ、内分泌や他の代謝面や染色体の検索が始められる。そして肉体を希望する性の方向に変えるためにホルモン療法を試みることがこの段階の重要な一面になり、患者を次の段階に進めるためにはスタッフ全員による、さらに得られた資料に基いた決議が必要となる。

第三段階では形成外科的、産婦人科的、泌尿器科的技術に熟練した外科部門が、患者の外的性器を希望する性の性器に変換すべく一連の手術を行う。

さらに第四段階として、患者は検査、検討さらに必要ならば追加治療のため定期的に病院に来院し、スタッフにより経過を追跡されるが患者の社会に対する全適応と貢献度が治療効果判定の指標となる。

右のように各専門分野の医師等による綿密な作業のもとに手術対象者を厳格に選別し、術前療法の他術後療法、追跡調査を行うなど極めて慎重になされているのであり、性転換手術に批判的な立場をとる医師でも、このような手続を経て実施される性転換手術に対しては医学的に価値のある試みとして評価しているものが多いように認められるのである。

また前記イラ・B・ポーリーの「性転換手術の現況」によれば、従来の経験の集積により性転換手術の適用のための指標ないし基準が一九六六年ベンジャミン博士により提示されているという。その指標は

a  精神科学的観察により、反対の性を自己と同一のものと認識することが固定化ており、精神病や極端な感情の動揺がないことが確認されていること

b  身体的外観や癖や振舞から男性の性倒錯者の場合その男性が女性として社会的に通用するほどに異性のまねができると考えられるか、さらに確実なのはその男性がすでに世間的に女性として通用しており、女性の一員として生活し機能を果している場合であること

c  性転換手術のもつ危険と限界を理解しうるだけの知識のあるものであること

d  術前の検査に参加し、手術をより詳しく評価するために必要な長期の経過観察に協力することに同意していること

e  医師あるいは病院をいかなる訴訟問題にもまきこまぬことと、自己の特異な性的状態を不当に宣伝したり、公表したり、あるいはそれを資本に営利を追求したりしないことに法律的に合意していること

などである。これらの要件と前記ジョーンズ・ホプキンス医学研究所の作業過程とを併わせ考えると現段階における性転換手術のあるべき姿を窺い知ることができる。

B  当裁判所の性転換手術に対する考え方

以上のような性転換手術の内容および医学的評価に照らすと、性転向症者に対する性転換手術は次第に医学的には治療行為としての意義を認められつつあるが、性転換手術は異常な精神的欲求に合わせるために正常な肉体を外科的に変更しようとするものであり、生物学的には男女性いずれでもない人間を現出させる不可逆的な手術であるというその性格上それはある一定の厳しい前提条件ないし適応基準が設定されていなければならない筈であつて、こうした基準を逸脱している場合には現段階においてはやはり治療行為としての正当性を持ち得ないと考える。こうした点で前記のジョーンズ・ホプキンス医学研究所での作業過程は厳しい適用基準を自ら打ち出してなされているものであるし、ベンジャミン博士の設定している指標もまことに傾聴に値するものと云わねばならない。ところで、現在日本においては、性転換手術に関する医学的研究も十分でなく、医学的な前提条件ないしは適用基準はもちろん法的な基準や措置も明確でないが、性転換手術が法的にも正当な医療行為として評価され得るためには少なくとも次のような条件が必要であると考える。

(イ)  「手術前には精神医学ないし心理学的な検査と一定期間にわたる観察を行うべきである。」性転換手術は前述のように不可逆的手術であるから、性転向症を装つている者や手術癖のある者が手術を受ける危険性をなくし、その患者が性転向症者であることの厳格な確認をするとともに、性転向症者であつても一時的な感情の動揺に支配されて手術を受けてしまうことを避けることが必要であるし、また精神病や神経症と合併している場合には精神療法等による治療をまず試みるべきものと考えられるからである。

(ロ)  「当該患者の家族関係、生活史や将来の生活環境に関する調査が行われるべきである。」性転換手術は患者の精神と肉体の不均衡を減少させるため肉体を変更して精神的安定をもたらし、社会適応性を付与することに積極的意義があるのであるから、その患者がこれまでどのような環境においていかなる人間関係を形成してきたか、また将来どのような生活の場を得られるか等について慎重な調査、検討を要するものと考える。

(ハ)  「手術の適応は、精神科医を混えた専門を異にする複数の医師により検討されたうえで決定され、能力のある医師により実施されるべきである。」性転換手術が不可逆的手術であり、現段階にあつては未だ調査的、実験的要素を含んでいるから、精神科学的な治療の可能性に配慮し、患者の選択を厳格になすべきだからである。

(ニ)  「診療録はもちろん調査、検査結果等の資料が作成され、保存さるべきである。」手術が右のような性格を持つから術後の治療や追跡的観察、調査に役立つよう手術に至るまでの経過を確認しうる資料が、作成され保存さるべきである。

(ホ)  「性転換手術の限界と危険性を十分理解しうる能力のある患者に対してのみ手術を行うべきであり、その際手術に関し本人の同意は勿論、配偶者のある場合は配偶者の、未成年者については一定の保護者の同意を得るべきである。」

C  本件手術に対する評価

(1)  弁護人らの主張するように、被告人は長年産婦人科医として診療に従事してきたもので、個人的にみれば性転換手術を施行する能力もある技術の秀れた医師であり、本件各手術は被手術者らから性転換手術をして欲しいと積極的に依頼されたためこれを行つたものであることは関係証拠により認めることができる。

(2)  そこで本件における三名の被手術者が果して性転向症者であつたか否かは必ずしも明確にし難いところであるが、<証拠>を総合すると右三名らの経歴や性格に次のような点が共通して認められる。すなわち、右三名はいずれも兄弟姉妹のなかで末子ないし末子に近いものであり、上に姉がおり、両親や兄弟に精神異常や注目すべき遺伝性の病気は認められず、幼少のときから男性と遊ぶことは少なく、もつぱら女性と一緒に遊ぶことを好み、女性的性格の持主であつたこと、また思春期になつても女性に対し性的関心と興味を全く持たず、むしろ自己を女性のように感じていたため男性を異性と感じ、学校でも男性の同級生にひかれたこと、高等学校または大学に進学してからも同性愛行為に興味をもち、地下劇場内で同性愛の相手を見出していたが、やがていわゆるゲイ・バーなどに出入りするようになつて学校をいずれも中退し、二〇才になる前から女性名を名のつて男娼として働いているうち、二〇才をすぎてまもなく男娼仲間等から被告人が性転換手術をするということを伝え聞いて手術を受けることを積極的に考えるようになつたこと、なお自慰行為の経験はあるが女性との性交渉はほとんどなく、女性に対しては仲間としての親愛感はあつても性の対象とはみていないこと、自己の性的倒錯を強く意識しているもののその治療のために医師の診断を受けたことはなく、女になりたいという気持から本件手術および陰茎切除の手術を受け、その結果についても一応満足し、造膣手術も受けたいと願つている(ただしTは他の医師に造膣手術をしてもらつたが結果は必ずしも良好でない)ことなどが認められるのである。

これらの事実および証人および鑑定人村上仁、同高橋進の各共述内容を併わせ考えると一応本件被手術者はいずれも性転向症者であると推認することができる。

(3)  従つて、被告人の本件手術は性転向症者に対する性転換手術の一段階と見うるから表見的には治療行為としての形態を備えていることは否定できないであろう。しかしながら、性転換手術の性格と現段階における医学的評価から、前記のとおり正当な医療行為と云いうるためにはいくつかの条件が充足されていることが必要である。とりわけ前記(イ)(ロ)(ハ)の手術前の措置が問題とされねばならないところ、本件各手術に至るまでの経過についてみるに、<証拠>によれば、Kは、昭和三九年五月一二日頃青木医院を訪れ、被告人に性転換手術を依頼したところ、被告人から性転換手術について説明を受け、手術を受ける気持があるのなら一晩考えて翌日来院するように云われたため、翌一三日再び青木医院に赴き手術を依頼し、検温を受けたり既往歴を尋ねられたほかは特に検査や診察も受けないで直ちに睾丸摘出手術を受けたものであり、またMは同年八月頃男娼仲間のNが造膣手術を受けに青木医院に行つた際同人と一緒について行き、被告人とたまたま雑談しているうち自分も睾丸摘出手術をして欲しい旨話したところ被告人も承諾してくれたので、同年一一月一四日頃やはり男娼のTをさそつて二人で手術を受けることに決め、被告人に電話で手術を依頼したうえ、翌日二人で青木医院に行き直ちに両名とも睾丸摘出手術を受けたものであることが認められる。このように、被告人は手術前に被手術者らと会つた回数がわずか一回ないし二回でそれも極めて短時間にすぎず、精神医学上の検査は勿論問診その他の診察もほとんど行わずに簡単に手術を承諾して単独の判断により実施しており、また被手術者らがいずれも男娼であることを認識し、女性名で彼らを知つてはいたが、その本名、住所、家族関係、生活史、将来の生活環境等に関する調査確認を全く欠いていたほか、法が命じている正規の診療録等も何ら作成することなく手術を行い、手術費および入院費用として一人約六万円ずつの料金を徴していたことが認められるのである。

そこで性転換手術が正当な医療行為として許容されるための前記の条件に照らしてみるに、本件各手術は以下のとおり多くの点で条件に適当していない。

(イ)  被告人は手術前に精神医学ないし心理学的な検査を全く行つていないし、一定期間観察を続けていたこともない。もつとも被告人はこの点に関し、長年の経験から本件被手術者らがいずれも性転向症者であることは一見して判つたと述べているが、仮に性転向症者であつても、安易に手術を行うことは前記のような弊害が生ずる可能性があり、また当該性転向症者にとつて手術が最善であるか否かを厳格に確認すべきであり、被告人がいかに優秀な産婦人科医であるとしても独断に陥入る危険性がないと云えない。

(ハ)  被告人は本件被手術者らの家族関係、生活史等に関し問診をせず、調査、確認が全くなされていない。むしろ被告人は彼らが男娼であることを知つていたものの如くであるが、前記ベンジャミン博士の提案する指標に徴してもこのような者に対する性転換手術については相当慎重でなければならないのに、その点の配慮を欠いていた嫌いがある。

(ハ)  被告人は全く単独で手術に踏みきることを決定し、精神科医等の検査、診断を仰ぐこともなく、他の専門科医等と協議、検討をすることもしていない。性転換手術の現段階における医学的評価をわきまえるならば、やはり精神科学的な治療の可能性に配慮し、手術をすべき患者の選択についてはできるだけ多くの専門分野から検討されるのが望ましいのに、それを全く欠いている。

(ニ)  また被告人は正規の診療録も作成せず、被手術者から同意書をとるなどのこともせず、極めて安易に手術を行つている。

従つて被告人が本件手術に際し、より慎重に医学の他の分野からの検討をも受ける等して厳格な手続を進めていたとすれば、これを正当な医療行為と見うる余地があつたかもしれないが、格別差迫つた緊急の必要もないのに右の如く自己の判断のみに基いて、依頼されるや十分な検査、調査もしないで手術を行つたことはなんとしても軽率の謗りを免れないのであつて、現在の医学常識から見てこれを正当な医療行為として容認することはできないものというべきである。

二優生保護法第二八条は憲法第一一条、第一三条に違反するとの主張について

〔弁護人らの主張〕

人間が性的欲求の満足を追求する自由は、憲法にいう基本的人権特に自由および幸福追求に関する国民の権利の一内容として人間の本能に根源的なものであつて、人間生来の幸福追求の権利に深いつながりを持つているものであるから公共の福祉に反しない限り、みだりにそれを抑圧もしくは制限されてはならないことは自明の理であるところ、優生保護法第二八条において同法による場合の外生殖が不能になる手術を全面的に禁止しているのは人間の性的本能を満足させる方法を国民から奪うことになり、国民の幸福追求の権利を端的に否定するものであるから、憲法第一一条、第一三条に違反することは明らかである。

また仮に優生保護法第二八条が一般的には憲法違反でないとしても、本件手術を同条に反するものとすることは、同条の解釈適用において憲法第一一条、第一三条に牴触すると云うべきである。すなわち本件手術を受けた大坪ら三名はいずれも肉体的には男性でありながら精神的には完全な女性であり、男性として生きることが死に相当する苦悩となつている者であるが、これを治癒させることは精神医学上不可能であり、性転換手術を優生保護法第二八条により禁止することは右のごとき性転向症者の幸福追求の権利を完全に抹殺することを意味し、憲法第一一条、第一三条に反するものと云わざるを得ない。

〔当裁判所の判断〕

なるほど弁護人の主張するとおり、性的自由は人間の本能に根ざす根源的なものであり、人間生来の幸福追求の権利に深くかかわり合いを持つているから、他の者の基本的人権を侵害したり自らの生命、身体等に有害となる場合でない限りみだりにそれを抑圧されてはならないことは勿論であるが、優生保護法第二八条は「何人もこの法律の規定による場合の外故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行つてはならない」と定めていて同法第三四条の罰則規定とも考え合わせると、第二八条は同法第三条、 第四条、 第一四条に掲げられたような特殊な場合においてさえも公共の福祉の見地から最少限度の肉体的侵襲により法の所期する目的を達しようとするものであるから、むしろ性的自由をできるだけ保障しようとするものでこそあれ、性的自由を抑圧しようとするものでないし、従つて立法目的それ自体は極めて正当であると云うべきである。しかも第二八条は同法による場合の外生殖が不能になる手術を絶対的に禁止しているのではなく、それを「故なく」行うことを禁止していることもまた明白である。例えば去勢(生殖腺を除去する場合)や断種(生殖腺を除去することなく生殖能力だけを除去する場合)が医学的治療として行われるときには同条の禁止に違反しないことは当然であるばかりでなく、社会的断種やその他の断種についてもそれが法的に理由のあるときは許され得るものと解せられるのである。

また現実にも同条の存在によつて国民が広くその性的本能を満足させる方法を奪われたり、幸福追求の権利を否定されるような事態が発生しているとも認められないから同条による禁止が広汎にすぎるために国民の幸福追求権などの基本的人権が侵害されているとは到底云い得ないところである。従つて優生保護法第二八条は憲法第一一条、第一三条に何ら反するものではなく、この点に関する弁護人らの主張は理由がない。

なお本件で問題となつている被告人の睾丸全摘出手術について考えてみるに、それが正当な医療行為としてなされたものであるならば、優生保護法第二八条に違反することもありえないのであり、本件においてはたまたま一定の前提条件を欠くためにその手術が治療行為と評価されなかつたに過ぎないのであつて、同条が性転向症者の幸福追求権を特に侵害しているとも解せられない。

三構成要件不該当の主張について

(1) 弁護人らの主張

優生保護法第二八条が禁止の対象としている「手術」とは同法所定の手術、すなわち「優生手術」と「人工妊娠中絶」を指すもので第二八条はこの二つの手術にのみ関する技術的制限規定にすぎないと解すべきところ、本件の手術は性転換手術の一環としての治療的医学的去勢であり、そもそも第二八条の対象とはなり得ない。また生殖不能の結果が附随的に発生したにしても、目的そのものは「生殖を不能にすることを目的」としていないのであるからいずれにしても本件手術は第二八条に該当しない。

(2) 当裁判所の判断

優生保護法は、同法第一条に定めるように、優生医上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに母性の生命、健康を保護することを目的として制定され、その目的達成のため優生手術(断種手術)と人工妊娠中絶を中心とする種々の方策を定めているが、優生手術に関しては対象者の認定や審査等につき厳格な手続が定められているほか同法施行規則第一条により術式が制限され(男性の場合であれば、精管切除結さつ法と精管離断変位法に限られる)、同法第二八条により故なく生殖を不能にすることを目的として行う手術またはレントゲン照射を禁止しているのである。しかしながら同条は、「故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行つてはならない」とする条文上からも明らかなように、単に優生学上の見地から断種を行おうとするとき、すなわち優生医的断種に関してのみの技術的制限規定にとどまるのではなく、優生学上の理由の有無にかかわらず去勢手術については治療行為等客観的に許容しうるものを除き禁止しているものと解することができる。従つて医師が、本件のような睾丸全摘出や卵巣摘出手術(単なる断種ではなく去勢手術である。)を行つた場合にはたとえ優生保護法上断種の対象となり得る者に対して優生学的ないし社会的(同法第一四条第一項第四号参照)見地からそれを行つたとしても同法第二八条違反とされることは勿論、右のような手術が優生学的な目的を持たない場合でも、治療等正当な行為として認められない限り同法違反は免れ難いところである。また、「生殖を不能とすることを目的」とする手術というのは、その手術により生殖が不能になることが客観的に明らかであり、そのことを手術者も認識して行うような手術であれば足り、生殖を不能にすることのみをもつぱらの目的とする手術に限るものでないことは解釈上当然であつて、本件睾丸全摘出手術が正当な医療行為として認められない以上、法律的には「生殖を不能にすることを目的」とする手術と評価せざるを得ない。

四被告人に犯意はなかつたとの主張について

(1) 弁護人らの主張

被告人は本件手術を患者らに行うことが医師としての正当な医療業務に属すると信じ、産婦人科医としての豊富な経験を基礎に権威ある他の外科医など立会いのうえ手術を行つたのであるから、全く犯意はなかつたものであり、少くとも被告人が本件手術を違法でないと信じたことは全く無理からぬことであつて、この点に過失はなく故意を阻却する。

(2) 当裁判所の判断

なるほど被告人は本件手術を性転換手術の一段階として行つたものであるが、それが前記のとおり客観的に正当な医療行為の範囲を逸脱したものとされる以上、本件手術の外形的具体的事実を認識してこれを行つた被告人に犯意がなかつたとはいえないし、また前記のような本件手術の性格や手術が行われるに至つた経緯、態様をみるならば被告人が本件手術を違法でないと信じたことが全く無理からぬことであるとは云えないから、この点に関する弁護人らの主張も理由がない。

第二、麻薬取締法違反事件関係

一被告人および弁護人らは、被告人は暴力団の幹部である名越孝四郎に威圧されたため恐怖心からやむを得ず麻薬を渡したものであるから譲渡の犯意は全くなかつたし、またその際名越から無理やり金員を置いていかれ、それを拒むことは事実上不可能であつたもので、営利の目的がなかつたと主張する。

二しかしながら前掲判示第二の関係証拠によれば、なるほど名越は的屋野原組の幹部であるが、被告人とは小学校時代からの知り合いで、これまで被告人に対して暴力をふるつたり威圧的態度に出たことはなく、被告人に麻薬の譲渡方を依頼した際も特に被告人を畏怖させるような言動に出たことは認められず、むしろ幼な友達であることを利用して懇願していたことが認められ、名越に麻薬を喝取されたと到底云い難いところである。

さらに、前記証拠を総合すると、なるほど被告人が名越に対し積極的に対価を要求した気配はなく、かえつて第一回目の譲渡(判示第一(一))に際しては対価の提供をことわつたにもかかわらず名越が一方的に六万円を押しつけるようにして置いていつたものであることが認められるけれども、第二回目以後は被告人も格別受領を拒絶することもしないで、結果的には名越から渡されるままにアンプル一〇本につき五万円ないし六万円で一五回にわたり、合計八三万円を受領しており、その金員を返還しようとしたこともないことが認められるから、法律上はやはり営利の目的があつたと云わざるを得ない。

従つて被告人および弁護人らの右主張は採用できない。

(法令の適用)

判示第一の各所為はいずれも優生保護法第二八条に違反し、同法第三四条前段に該当するのでそれぞれ罰金刑を選択し、判示第二(一)の所為は麻薬取締法第二四条第一項に違反し、同法第六六条第一項に該当し、判示第二(二)の所為は包括して同法第二四条第一項に違反し、同法第六六条第二項(第一項)に該当するところ情状により懲役および罰金に処することとするが、以上は刑法第四五条前段の併合罪なので、懲役刑については同法第四七条本文、第一〇条により最も重い判示第二(二)の罪の刑に法定の加重をし、判示第一の各罪の罰金刑については同法第四八条第一項によりこれを右懲役刑と併科することとし、同条第二項により判示第一、第二(二)の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期および金額の範囲内で被告人を懲役二年および罰金四〇〇、〇〇〇円に処する。なお右の罰金を完納することができないときは、同法第一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件中麻薬取締法違反の点はその数量が極めて多量であるのみでなく期間も約半年以上に亘る長期間に行われ、譲渡の対価も薬価に比して甚だしく高かつた点から考えると悪質と言う外ないが、ただ本件麻薬の譲渡が行われるようになつた動機原因が小学校時代の友人から懇請されたという事情にあり、しかもその友人が所謂暴力団の幹部にあたる人物で、これに逆らえば被告人が主張するほど差し迫つてはいなかつたにしても種々の不利益を受けることが危惧される情況にあつたことは窺知しうるところであるから、被告人がその譲渡については必ずしも積極的でなく、むしろ嫌々ながらも応じていたことは理解しうるので、その点は十分斟酌する必要があると考える。

また優生保護法違反の点は、刑事事件としては本邦で初めての事案であり、未だ同種の事案が法廷で論議されたことも全くない未開拓の分野に関するものであるばかりでなく、それが医療行為として許されるものなりや否やも未だ定説がなく、最近アメリカ等で研究的に一定の厳しい条件の下でこれを許そうとする傾向が生じて来つつあることを考えると本件についてもあまり厳しい量刑をすることはできないのである。そこで当裁判所としては麻薬取締法違反については他の同種事案との比較から懲役二年、三年間執行猶予および相当額の罰金の併料を(その相当額を考慮するに当つては被告人が利益金八六万円を厚生省社会局更生課長を通じて (1)身体障害者授産施設、(2)重度身体障害者授産施設、(3)失明者更生施設、(4)ろうあ者更生施設等に寄附した事実を斟酌した)、また優生保護法違反の点については前記のような事情を斟酌すると懲役刑を選択するのは酷に過ぎるので将来に向つて世間に警告を発する意味で罰金を科するのが相当と考え、結局その所定罰金刑と麻薬取締法の罰金を合算した範囲内で四〇万円の罰金を科するのが相当と考えたのである。

よつて主文のとおり判決する。(熊谷弘 山田和男 永井紀昭)

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